私にとっての”August 15th”

私にとっての”August 15th”

“8月15日”と聞くと、日本人なら終戦記念日やお盆を思い浮かべる人が多いと思う。ただ、私にとってはそれだけでない。私の誕生日でもあり、祖父の命日でもあるので、私にとっては、1年の中でもすごく意味のある日なのだ。

小学生の頃は、夏休み中なので、誕生日が来ても、学校で友達のみんなにお祝いしてもらうこともなく、ちょっと残念な思いもした。もちろん、友達を家に呼んで誕生日パーティーなどはしていたが。お盆ということもあり、当日にパーティーはなかったかな。たいてい、15日は祖父母の家で親戚一同集まって、先祖の供養をしていたと思う。誕生日だからと言って、あまりはしゃいだ記憶もないような💧小さい頃は、何で誕生日がお盆何だろう😔…って思っていた。
オーストラリアではお盆という習慣もないし、夏休みでもないので、普通の日常って感じ。それはそれで、ちょっと寂しい気持ちもするが。

そして、今でも鮮明に覚えているのは、祖父が亡くなった日の記憶。私の9歳の誕生日。前夜は、祖父母の家に泊まっていて、叔父さんと一緒に朝から祖父が入院している病院を訪ねた。誕生日ということもあって、病院近くのデパートで、人形と人形用の洋服やタンスを買ってもらった。そのあと、迎えに来た父と一緒に病院から家へ帰った。そして、父は再び病院へ。私は、弟と家で留守番していて、ゲームボーイで夢中になって遊んでいた。その時、病院にいた母からの電話で、祖父が亡くなったと聞かされ、父が迎えに来て、再び祖父母の家へ。かなり昔のことなのに、今でもその日のことは鮮明に覚えている。父が喪服を忘れて、祖父母の家と私たちの家を計3往復したことも😅
私の祖父は、あまりおしゃべりではなかったが、スポーツは万能で、棒高跳びで表彰された時のメダルが家の中にたくさん飾ってあった。祖父は、農家で、毎日田んぼや畑の世話をして、すごく働き者でもあった。亡くなって何十年も経つが、誕生日になると祖父のことを思い出す。

最後に、なんといっても8月15日というと、やっぱり終戦記念日だろう。今年で戦後75年になり、戦争を体験した世代も年々減っていっている。私は、実際に戦争の体験談を身近な人たちから聞いたことはないが、なぜか誕生日が終戦記念日ということもあり、ちゃんと戦争のことを勉強して覚えておかなきゃという意識が強いように思う。毎年、この時期になると、ニュースや新聞などで戦争経験者の体験談や戦死した人たちの手紙を読んだり、戦争に関する映像を見たりする。
1つ言えることは、戦争は決して誰も幸せにしないということ。憎しみは憎しみしか生まない。お互いに殺しあう敵同士であっても、その兵士一人一人に家族がいて、家族は兵士が無事に帰ってくることを強く願っていたに違いない。現代の私たちが、当時の彼らの心境など、到底わかるはずもない(分かるとは口が裂けても言えない)が、私たちと同じように、幸せな未来を夢見ていたと思う。今の私にできること、それは、悲惨な歴史を忘れないこと、未来の人たちに伝えていくこと、そして、彼らに恥じないように、毎日しっかり働いて、自分の人生を全うすることだと思う。

8月15日。嬉しくもあり、悲しくもある日だ。